私たちが、自分を含むより大きな対象を認識し理解しようとするときに、それが自然の問題であれ、社会の問題であれ、必然的に生じる共通の問題として注意しておくべきことは、その対象の中に自分自身が含まれるか、含まれなくても、対象自体に何らかの干渉をしなければならないために、対象に変化を及ぼしうる点である。これは何も新しいことではない。文化人類学における参与観察が、対象の集団に何らかの変化を及ぼしていてもおかしくはなく、実際にその問題も指摘されているし、単に学術的な客観性担保や非侵襲という認識上の問題に過ぎないともいえる。
むしろ、地域や地球環境の保全という観点からは、もう一歩踏み込んだ視点が必要である。つまり、地域や地球に含まれる一員として、あるいは、人間集団として、どのように地域や地球を「運営(manage)」していったらよいのか、という視点が最も重要である。もちろん、運営のためには、地域や地球の状態をよく知ること、つまり、情報化が必要不可欠であるが、その情報化も何らかの形で、地域や地球の運営につながってくれることが望ましい。ただし、ここで注意が必要なのは、安易に「役に立つ」ということを言わないことである。「役に立つ」自体、実は深く考えれば定義のむずかしい内容を含んでいるが、いわゆる世間で言われる役に立つとは、四半期の営業成績が上がるとか、数ヶ月、数年で見られる、しかも、評価のしやすい変化(これを進歩と間違えることもある)であり、役に立つことのごく一部でしかない、と考えられる。しかし、「運営」とは企業や行政の仕事であり、研究にできることはあるのかと思われる人も多いと思う。このへんをひきつづき考えていこうと思う。